赤い、赤い世界にいた。
 右から左へ、近くへ遠くへ、視界を移動させる。
 だけど、そこには何もなく。ただ、血の様に赤い空間が広がっているだけだった。

 ここは……何処なんだろう?
 こんな世界、居るだけで気分が悪くなる。
 僕にとって赤は……血を連想させるから。

 不意に、音が聞こえた。
 泣き叫ぶ声。
 何処から発せられているのか分からなく、この世界全体に響いている感じがする。
 気が付くと、足元に、一人の女性が横たわっていた。
 泣き叫ぶ声と同時に、別の音が聞こえ始める。
 高音の電子音がピッピッピッと、規則的に鳴っていた。

 助けなきゃ…!

 この世界はなんなのか、まったく分からない。
 この状況が掴めない。
 だけど、まるで使命のように、助けなければならないという感情が生まれる。
 手を伸ばす、これはまだ"救える"命なのだから!

 急に世界は染まった……赤から黒へ。
 見えない。何も。
 手を伸ばそうとした先でさえも。
 何も……聞こえない。
 ……いや、分かっている。
 聞こえないフリをしているだけ。
 世界が変わった瞬間から、電子音が……絶え間なく響いている。
 分かりたくなかった。
 聞いていたくなかった。
 それはきっと、もう助ける事は出来ないんだという……終わりを知らせているから。





『昔語(三)〜縁の歓迎と罪過と』






 歓迎会、当日。放課後。
 舞台であるアパートの一号室、つまり浩司の部屋に行く準備を整えていた。
 ――コンコン。
 保健室の扉がノックされる。

 「はい?」
 「準備は出来ましたか? 俊也さん」

 入ってきたのは優日さんだった。

 「まあ、カメラしかないからね。もう出来てるよ」
 「じゃあ、行きましょうか?」
 「そうだね」

 一緒に保健室を出る。
 昨日と今日は、なんとか診療所に戻っていた。
 しかし記憶が夢となって現れ、心が押しつぶされそうな目覚めを迎える。
 まだ克服したわけではない、ということを痛感した。
 ただ前を向く決意をしただけ。
 解決なんてしていない。
 いつか、夢に押しつぶされる日が来るんじゃないだろうか?
 それも遠くない未来に。

「俊也さん、大丈夫ですか? なんか暗い顔をしてますけど……」
「え……ああ、ごめん。大丈夫だよ。全然」

 これから彼女の歓迎会だってのに、思考を暗くしてどうする?
 大丈夫。そう、大丈夫だ。

「そう……ですか」
「それにしても、カメラなんて久々だよ。なんか結構良いのがあったし」

 これ以上、優日さんに心配させるわけにはいかない。
 強引に話題を変える。

「あ、何でも良かったんですよ? そんな高そうなのじゃなくても、思い出さえ残せればいいんですから」
「立派なのに越した事はないから。まぁ、僕の腕の見せ所ってことだね」
「ふふ。期待してますっ」







 アパートの一室。一号室。
 ドアからして異質だった。
 だって、周りがキラキラしてる。金色に。
 そして白の紙に、でっかく「ようこそ優日ちゃん!」って書かれてる。
 あきらからにこの空間だけが、おかしい。

「入るのやめようか?」
「え、えっと……それはさすがに」
「はぁ……」

 相変わらず、突っ走るというかなんというか。
 ってか、ここで既に歓迎してるってどうなんだろう。
 普通、部屋に垂れ幕とかで書くものじゃなかろうか?
 それに、ドアだけでこんなに異質なのだから、部屋の中はどうなっているのか、考えるだけでもおぞましい。
 ドアを開けた瞬間に、なんか降ってこないといいけど。
 いや、飛んでくるかもしれない。

「……仕方がない。入ろう。優日さんはちょっとドアから離れて」

 優日さんを危険領域から遠ざける。
 これで、何があっても、避けるぐらいは出来るだろう。
 恐る恐るドアノブに手をかける。
 そして、一気にドアを開いた!

「うわっ! びっくりした。俊也かよ。何やってんだ? 優日ちゃんは一緒なのか?」

 椅子に立って、浩司が不思議そうな目でこちらを見ていた。
 手は天井に向いていて、糸を持っている。
 何かを吊り下げようとしているのだろうか。

「あ……ああ。いるよ」

 正直、拍子抜けだ。
 だって、扉があれじゃあね……。
 それに、浩司がすることだし。

「優日さん。ごめん。もういいよ」
「あ、はい。何もなかったみたいですね」

 優日さんも少し拍子抜けしたみたいだった。

「あ、姉さん。もうお仕事終わったのですか?」

 料理の支度でもしていたのだろうか、奥から紗衣香ちゃんが顔を覗かせる。

「うん。紗衣ちゃんは?」
「私は、今日はお休みにしました。書置きもしておきましたし」
「え。じゃあ、いつからここに?」
「昼ぐらいには。午前中に食材を買って、それから準備を始めましたから」

 紗衣香ちゃんもずいぶん楽しみにしていたようだ。
 嬉しそうに話している。

「へえ、本格的だね」
「あ、先生。お疲れ様です」
「お疲れ様。ごめんね。浩司の相手、大変だったろう?」

 本当に。
 突っ走りだすと、歯止めがきかなくなるから。

「いいえ。そんなことないですよ。随分、私を手伝ってくださいましたし」
「へ!? 浩司が?」
「当たり前だっ! 俺がいっつも遊びまわってるように見えるのか!」

 見えます。

「でも、部屋の中は随分あっさりしてるね。外のドアよりもっと凄いと思ったけど」
「そうですね。だいぶ緊張しました。何があるんだろうって」

 というより、なにも飾られていない。
 まぁ、本当は飾る必要はないのだけど。
 外のドアを見れば、中も当然そんな感じなのだろうって思うのが普通だ。

「ふっふっふっ…甘いよ。お二人さん」
「……止めたのですが、これだけは譲れないと仰られたので」
「紗衣香ちゃんだって、最後には協力してたじゃないか」

 なんだ? なんのことだ?

「なにを企んでるんだ? 浩司」
「まぁ、ねぇ。ふふふ……」
「はっきりしろよ」
「"見てのお楽しみ"ですよ、先生」

 紗衣香ちゃんはいたずらっ子のような笑顔で、僕を見る。
 久々に見るな。小悪魔モード。

「それは"楽しみ"で合ってるの?」
「「……」」
「え、あの……坂上さん? 紗衣ちゃん?」

 二人してなぜ黙る?
 とてつもなく不安なのだが。

「じゃあそろそろ始めよう。紗衣香ちゃん、料理は準備いいか?」
「思いっきり話そらしたよね?」
「はい、大丈夫ですよ」
「紗衣香ちゃんも一緒になってなんでそらすの!?」
「先生、大丈夫ですよ。……きっと」
「"きっと"ってなに!?」
「ふふっ」

 いきなり優日さんが笑い出す。
 どうしたんだ?

「いつも、こんな感じなんですか?」
「まぁ、大体はね。俺がボケて、俊也が突っ込んでって感じ」
「へぇ〜。紗衣ちゃんは?」
「紗衣香ちゃんは……ツッコむときは容赦なく、ボケは天然である場合が多い」

 確かに。
 紗衣香ちゃんのツッコミは、心にグサっとくる。

「へぇ〜、そうなんだ? 紗衣ちゃん」
「そんな気はないのですけど……」

 少し恥ずかしそうに、答える紗衣香ちゃん。

「さて。それじゃあ、始めようか」

 会話もひと段落着いたし、昼から用意していたというのなら、料理も出来上がってるはずだ。

「ふふふ……いいのか?」
「なんで確認とるんだよ」
「冗談だ。じゃあ、始めようか」

 浩司の合図で、紗衣香ちゃんが次々と料理を運んでくる。

「うわぁ。すごい!」

 優日さんが、並べられていく料理を見て、感嘆の叫びをした。
 テーブルの上に置かれていく料理は、本当に豪勢だった。
 鶏の唐揚げ、フライドポテト等のパーティー料理に日本的な煮物やお寿司。

「本当に凄い」

 これを紗衣香ちゃんは一人で作ったというのだから、凄い。

「どうだ? ん? ん?」
「浩司は関係ないけどね」
「そんなことないもん! 手伝ったもん!」
「初めてお手伝いした子供みたいに言うなっ!」
「さあ、じゃあ始めましょうか」

 料理を並べ終えたのか、紗衣香ちゃんの声が聞こえた。

「そうだな。じゃあ、紗衣香ちゃん。アレを」
「はい。アレですね」
「……」
「アレってなんですか?」

 優日さんが僕の代わりに聞いてくれる。
 浩司は少し笑いながら「まぁ、まぁ」と手で制する。
 紗衣香ちゃんが何か白い糸状のものを浩司に渡した。
 そして立ち上がり、おもむろに語りだした。

「皆さん、コップをお持ちください…」

 いつの間にかお酒が注がれているコップを持つ。
 それにしても何故、こいつが仕切ってる?
 疑問に思いつつも好きにやらせることにした。
 というかこの部屋……4人じゃけっこう狭い。

「では新たな戦友。篠又 優日ちゃんとの出会いを祝して」
「……」
「かんぱ〜い!」

 「かんぱ〜い!」と同時に手に持っていた白い糸状のものを思いっきり下に引っ張る。
 瞬間、パンッ!! という音が四方八方から聞こえた。
 ――パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!――
 何が起きているのかさっぱり理解できない。
 部屋が今にも壊れそうなほどの騒音が部屋中に響く。
 なんだこれは? クラッカー?
 バンッ!! と明らかにクラッカーではない音が聞こえ、目の前に垂れ幕が下がった。

「「…………」」

 部屋は静かになった。
 あれで最後だったのか?

「ふははははは」
「ふふふふふふ」

 そして放心状態の僕と優日さんを尻目に、バカと紗衣香ちゃんが笑っている。
 予想通りのリアクションだったのだろう。
 目の前の垂れ幕の文字を読んでみる。

「『おどろいたか? はっはっはっ』……」

 歓迎の言葉ですらない。

「あ、あはははは……驚きましたぁ……はははは」

 そんな垂れ幕にも受け答えをする優日さん。
 優しいね君は。
 僕は少なからず殺意を覚えたよ。無論、浩司に。

「……じゃあ、バカへのお仕置きは後にしといて。始めますか」
「俺、お仕置きされるの!?」

 お仕置きという言葉に過剰に反応する浩司。
 無視して進めよう。

「それでは、新たな友人との出会いを祝して。かんぱ〜い!」
「かんぱ〜い!」 「かんぱいです」 「お仕置き……」

 一人だけ、違う言葉で乾杯をする。
 そんなに気になるのかよ。

「あ、俊也さん。全員で集合写真撮りません?」
「ああ、そうだね。そうしようか。って訳で全員並んで」
「お仕置き……」
「はい。わかりました」

 タイマーをセットして皆が並ぶ場所まで移動する。
 位置的にも僕の傍にいた優日さんの隣に座る。
 左から浩司、紗衣香ちゃん、優日さん、僕というふうに並ぶ。
 狭い……だからこそ身体が密着した。
 肩と肩が触れ合う。少し、ほんの少しだけ、ドキドキした。
 ――パシャッ
 カメラの音とフラッシュが撮影したことを知らせる。

「さあ、じゃあ食べようか」

 カメラを持ち、首に掛けた。

「そうですね。紗衣ちゃんの腕がどれだけあがったのか楽しみっ」
「ふふふ。味わってみてください。いつまでも姉さんに負けていられないですから」

 自信ありげに料理を勧める紗衣香ちゃん。
 診療所でも時々食べるけど、紗衣香ちゃんの料理は本当においしい。

「お、自信満々だねぇ。それじゃ、頂こうかな」

 近くにあった煮物に箸を伸ばし、口に入れた。
 まぁ、パーティーに煮物というアンバランスさはこの際無視だ。

「うん! おいしいっ。こりゃあ、お姉ちゃんの負けかな?」
「優日さんって、料理上手いの?」
「はい。私の師匠です。本当においしいのですよ」

 紗衣香ちゃん以上って……料理で暮らしていけるくらいじゃないだろうか。

「そ、そんなことないですよ。今じゃ紗衣ちゃんと同じくらいですよ」
「それでも十分凄いよ。今度何かご馳走してほしいな」
「へ? あ、あの……もちろん!」

 力を込めて、優日さんが約束してくれる。
 そんなに力強くなくてもいいんだけど……。

「ふふふ、きっとビックリしますよ。先生」
「へぇ……楽しみだな。浩司も食べたら? おいしいよ」
「おしお――ぐわっ」

 しつこかったので殴った。







 時間が経ち、十時。
 歓迎会を始めてから、既に四時間は経っていた。
 僕は酔いを覚ます為、外に出ている。
 満点の黒い空に輝く一つ一つの星がくっきり見える。
 相変わらずこの町は夜空が奇麗だ。

「空、奇麗ですね」

 いつの間にか、優日さんが隣に来ていた。

「うん。この町の夜空は結構好きなんだ。今日のように晴れてる日は特にね」
「本当に奇麗ですね。星がはっきり見える」
「浩司と紗衣香ちゃんは?」
「寝てます。酔い潰れて」

 まぁ、休み休みでも四時間も飲んでたら当然か。
 僕は何故かお酒に強く、相当飲んではいるけど、立てない程には絶対にならない。
 そういえば、優日さんはどうなのだろうか?
 四時間も飲んでたなら、結構きついと思うんだけど……。

「優日さんってお酒強いんだ?」
「えっと……どうなんでしょう?」

 首を傾げる。
 いや、そこを疑問で返されても……。

「えっと、私はそんなに飲んではいないんですよ。四〜五杯くらいです。一時間に一杯くらいのペースで飲んでいましたから」
「へぇ……それはまた随分とスローペースだね」
「一気に飲むと、すぐ酔っちゃうんですよ。だから慎重に飲んでいました」
「そうなんだ」

 会話が終わり、空を見上げる。
 そういえば、夜空を見上げる時はいつも一人だったっけ。
 浩司は興味ないとか言ってたし、紗衣香ちゃんとも見る機会がなかった。
 今、隣には優日さんが居て、一緒に空を見上げてる。
 それだけでも、気分が安らいだ。

「俊也さん……大丈夫ですか?」
「へ? なにが?」
「時々……とても辛い顔をしているので」

 そんな顔していたのか?
 彼女を歓迎して楽しむべき場所で……無意識に?

「そう、だったんだ。……ごめん」
「どうして謝るんです?」
「君を歓迎して、楽しませなきゃいけない場所なのに、って思ってね」
「そんな! 無理して笑顔を作る必要なんてないです。それは見てる方も辛いんですから!」

 無理をしているつもりはなかった。
 ただ、楽しみたかっただけなんだ。
 彼女の歓迎会を。

「俊也さん。もう一度聞きます……大丈夫ですか?」

 僕の正面に移動し、聞いてくる。
 目と目を合わせ、じっと答えを待っている。
 少し酔っているのかもしれない。
 弱音を吐きたかっただけなのかもしれない。
 僕は、彼女に一ヶ月前に起きた全てを……話したいと思ってる。
 一昨日は自分で解決するとか言っておきながら……もう彼女に甘えようとしている。
 どうして僕はこうなんだ。
 どうして強く生きられないんだ。
 でも……でも…………。

「……昨日と今日、夢を見たんだ」
「夢?」

 もう抑えられなかった。
 自制する感情を全て押さえ込み、言葉が溢れ出していた。

「そう。赤い世界の夢」

 僕が見た夢を話していく。
 僕をどんどん蝕んでいくかのような……悪夢を。
 なにも解決していない問題。
 それを、はっきりと突きつけられる。
 これはお前の罪なんだと。

「だけどそれはね。一ヶ月前、この町で実際に起こった事だったんだ」

 一ヶ月前、轢き逃げ事故があった。
 被害者は女性。道端で血だらけで倒れていて、傍では子供が泣いていたそうだ。
 隣町に運ぶよりも診療所の方が近いので、こちらに運ばれ、僕が緊急にオペをすることになった。浩介さんは出張で居なかたっからだ。
 腕や肋骨が骨折しており、折れた肋骨が内臓器に一本突き刺さっていた。
 血が止まらない、部屋は一面、赤一色だった。
 はっきり言って現状では救いようがない……ここにある設備も不十分。
 けど、出来ないわけではない。助かる可能性は1%だけどあった。
 だから僕はそれに懸けようと思った。自分の出来る限りの力で。
 心電図の音が、まだ命があることを教えてくれる。
 それがいつ失われるのか……怖くて仕方がなかった。
 そして、十時間にも及ぶ手術の結果。なんとか一命を取り留めた……そう、思っていた。

「最後の最後に気が緩んでしまったのかもしれない……急な事態に対処が遅れた」
「助からなかったんですね? その人は」
「……うん。容態が急変した。呼吸に安定がなくなり、心臓の動きがだんだん遅くなって……そして…………止まった」

 気が動転していた。
 頭が真っ白になって、必死に助けようとした。
 蘇生法を何度も試し、その場で出来るありとあらゆる手段を使った。
 だけど……心臓がまた動き出す事はなかった。

「紗衣香ちゃんに外で待っていた家族に、その人の死を知らせに行ってもらった」

 遠く聞こえる子供の泣き叫ぶ声。
 鳴り止まない心電図の音。
 もう動くことのない女性の亡骸。

「……僕は自分の不甲斐なさを呪った」

 自分は今まで何をしていたのだろうか。
 医者として、何をしてきたのだろうか。

「『どうしようもなかった』と父親は言ってくれた……けど、泣いていた男の子は僕のこと睨み、『人殺しっ!』って叫んで僕の前から走り去った」

 そう。
 僕は人を殺してしまったんだ。
 僕が、この手で、命を、消した。

「僕は今まで……多くの人の死に触れてきた。助けたくても、助けられない人たちばかり見てきた……だからこそ助けたかったんだ」

 少しでも助かる可能性があるのなら、その可能性に必死ですがる。
 どうしても助けたかったから。
 命を無くしたくなかったから。
 大切な誰かの泣き顔なんて、見たくなかったから。

「けど結局……助けられなかった。医者として……また何も出来なかった。僕は多くの人の命を助けたくて、救いたくて医者になった……僕は――」
「俊也さんっ!」

 不意に、抱き寄せられる。
 彼女の顔がすぐ隣にあった。
 身体全体に彼女の柔らかい感触が触れる。
 温かかった。凄く。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
「……優日さん?」

 なぜ僕は彼女に抱き締められているんだろうか。
 そんなに辛い顔をしていたのだろうか。
 彼女の方が辛く見える。
 声からして既に泣きそうだった。

「……興味本位だったんですっ。ただ、俊也さんのことが知りたかっただけなんですっ私じゃ解決できないことだって分かっているんです」
「……」
「けど、私は今、俊也さんの心の傷を広げました……無遠慮に、ずかずかと……」
「……そんなこと」

 ない。
 だって、勝手に僕が話し始めたことなんだから。
 僕の罪を聞いて欲しくて、話し始めたことなんだから。
 だけど、僕の言葉を遮るように、優日さんが、言葉を重ねる。

「ごめんなさいっ。どうしても、どうしても知りたかった。力になりたいって、思っただけなんです」

 あぁ……なんてこの人は、優しい人なんだろうか。
 そんなことを言ってくれるだけで、充分だというのに。
 それでは足りない、と彼女は言ってくれる。
 なんて……。

「優日さん。ありがとう。十分だよ。話を聞いてくれるだけで……抱き締めてくれるだけでね」
「あ、その……す、すみませんっ!!」

 すぐに彼女は僕から離れて、後ろ向きになった。
 耳の赤さから恥ずかしがっているのがわかる。
 首に掛けていたカメラを、ふと見る。
 確か、最後に一枚残ってたっけ……あ、そうだ。
 いいことを思い付き優日さんに声をかける。

「優日さん」
「はい?」

 振り向いた彼女はまだ少し頬が赤かった。
 即座にカメラを向け、シャッターを押す。
 ――パシャッ

「へ?」
「最後の一枚。記念に貰っておくよ」
「え……いや、そ、その……どうして?」

 優日さんは自分の無防備な顔を取られてだいぶ驚いたらしく、顔を真っ赤にしていた。

「一応、まだ続きがあるんだ。聞いてくれるかな?」
「え? は、はい」
「僕は……あの人の子供にもう一度謝りたいって、そう思っているんだ。いつになるかは分からないけど。きっと、必ず」

 それは償い。
 今まで何もしてあげられなかった人たちに対しての、償い。
 助けられなかったあの人に対しての、償い。
 僕は、誰かに自分の罪を聞いてほしかったのかもしれない。
 ただ、弱音を吐きたかっただけなのかもしれない。
 わからない……けど、心はだいぶ楽になっていた。

「優日さん、ありがとう」

 それはやっぱり、優日さんのおかげなんだと思う。
 優日さんの温かさが……僕を落ち着かせてくれたんだと思う。

「そんな……そんなことないです。お礼を言われるほど、立派な事なんて出来ませんでした」
「話を聞いてくれた。僕の弱さを受け止めてくれた。それだけで十分なんだよ。君がいなかったら、心が罪に負けてしまっていたと思う……本当にありがとう」

 頭を下げる。
 ただ、嬉しかった。
 まだ何かが解決したわけじゃない。
 むしろ、背負っていくべきものを、自分に突きつけただけだ。

「……私もありがとう」

 掠れそうな声が、聞こえた。
 顔を上げると、優日さんが両手で口を押さえて、静かに……涙を流していた。

「……あなたの事を教えてくれて……あなたの弱さを教えてくれて……あなたのお役に立たせてくれて……本当に……ありがとうございます」

 二人して頭を下げあう。
 お互いのその姿がとても滑稽で、笑ってしまった。
 彼女も、僕も。
 僕はあの事故の日以来、心の底からは笑うことはできなかった。
 けど、今……笑っている。
 心の底からではないけれど、笑っている。
 まだ、解決したわけではない。
 けど、少しだけ笑えそうな気がしていた。
 彼女が居てくれるのなら……きっと出来る。
 そう考えている自分がいた。
 この頃から……ぼんやりと気付き始めていたのかもしれない。
 彼女……優日さんに対する気持ちを。






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