先生の写真を見て、探していたものが、ようやく見つかった気がした。
嬉しかった。
だけど、それ以上に悲しかった。
あたしの唯一の希望が、もう消えてしまったんだということを、確認してしまったから。
結局……独り。どこまでいっても、あたしは独りなんだ。
泣きたかった。
目の前に上月がいようが関係ない。
大声上げて泣き出したかった。それなら、少しぐらいは気も晴れるだろう。
だけど、あたしは泣くわけにはいかない。
泣くということは、自分の弱さを認めることだから。
そんな簡単に挫けちゃいけない。
それが、先生との約束だから。
……先生。辿り着いたよ。必死に追いかけて、やっとあなたを見つけたよ。
もう一度、ちゃんと話したかった。
もう一度、ちゃんと見たかった。
もう一度、ちゃんと触れたかった。
それはもう叶えることが出来ないと知っているから。
だからこそ、先生のことが知りたい。
どんなものをを見て、どんなことを感じた?
誰とどんな話をした?
誰とどんな関係だった?
届かないからこそ、たくさんの先生を知りたい。
その為に、ここまで来たんだから。
『優日〜変わらない家族と清算と〜』
見上げた空はいつもと変わらず高かった。
太陽は今日もいっそうと輝き、日差しを強めている。
今、僕はある場所へと向かっていた。
昔、一番世話になった人のところへ…
目の前には引き戸と言われるもの。つまりは玄関。
そこには表札があり、"坂上"と書かれている。
僕の友人、坂上 浩司の実家だ。
浩司の父親は穂波診療所の院長だった人。
僕に初めて医者の仕事の辛さ、素晴らしさを教えてくれた人。
僕と優日の仲をいつも心配してくれていた人。
そして、僕がここから居なくなる時、優日の全てを押し付けてしまった人。
なんて挨拶したらいいのだろう。
僕は自分の患者……しかも恋人を放り出した人間。
医者としても、人間としても、どうしようもないことをしてしまった。
目の前にチャイムの呼び出しボタン。
指を伸ばす…………けど、どうしても押せなかった。
「……」
僕はどうしてこう勇気が欲しい時に勇気が出ないのだろう。
思い悩んでいる時、いきなり引き戸が横に流れた。
「あら?」
「……ど、どうも。お久しぶりです」
「と、俊也くん!?」
「ええ。帰ってきたので報告に参りました」
驚き半分、喜び半分で僕を見つめてくる女性。
この人が浩司の育ての親である坂上 柚華さん。
浩介さんの前の奥さんが、浩司を産んですぐに亡くなり、そして、浩司が三歳くらいの時に再婚したのが柚華さん、というわけだ。
僕も幼い頃に母親を亡くしていたため、柚華さんは僕にとっても親代わりだった。
とても落ち着いているように見えるのだが、実は案外ドジな所があり、それでいて人をからかうのが好きな四十四歳だ。
「こ、こ、こ――」
「柚華さん…?」
鶏みたいに『こ』を連呼している。
柚華さんは突然、家の中へ駆け出していった。
「浩介さーんっ!!」
「あ……」
ははは……相変わらずだな。
「おひさしぶりです」
居間まで通してもらい、挨拶をする。
目の前には坂上 浩介さん。浩司の父親であり、穂波診療所の元院長。
浩介さんは、ソファに腰をかけ、ゆっくりと僕を見上げた。
そして穏やかな声で。
「一年振りだね。帰ってきてくれて嬉しいよ。向こうはどうだった?」
再会を祝ってくれた。
「すごく勉強になりました、いい出会いもありましたし。また医者という職業に誇りを持つことが出来ました」
決して良い思い出だけではないけれど、その人たちに会えなかったら、きっと僕は優日の後を追っていただろう。
「そうか。それは良かった。浩司とはもう会ったんだったかい?」
「はい」
「変わってないだろう? あのバカ息子は」
「ははは。でも、それが彼のいい所だと僕は思いますよ」
浩司だけじゃない。浩介さんも、柚華さんも、何一つ変わってない。
どうしてここの人たちはこんなにも変わらないのだろう。
「彼女の一人も作らないであの年だ……先が思いやられるよ」
「大丈夫ですよ、浩司なら。きちんと見つけることが出来ると思います」
それが紗衣香ちゃんとは限らないけど。
「そうだといいんだがね……親としては心配だよ」
「あの……」
なんて切り出そう。
謝らなければならない、そのためにここに来た。
それがけじめだと思うし、責任でもあると思う。
「ん?」
「今まで……すみませんでした」
立ち上がり、頭を下げる。
「……どうして?」
「僕は……自分の患者である彼女を放棄して、浩介さんに押し付けました。しかも、その人は自分の一番大切な人でもあったのに」
「……」
「そして……そこまでしたのにも関わらず、何も出来ませんでした」
何もすることが出来なかった。
最後の足掻きでさえ……無意味になった。
「だから、『すみませんでした』と『ありがとうございます』の言葉を伝える為に、今日はここに来たんです」
「……それは一番受け取れない言葉だ。謝られても礼を伝えられても困る。私はただ見ていただけ。何もすることが出来なかったのは、私も同じなのだから」
だってそれは、僕が押し付けたから。
恋人としてしなければならないことの全て捨てて、医者として行動してしまったから。
だから浩介さんは、見守ることしか出来なかった。
「君は私を信頼してくれて、優日さんを預けた。それなのに……謝るべきなのは私の方だ」
「そんなことないです! 浩介さんはずっと傍に居てくれました。最期のその時まで、沙衣香ちゃんと一緒に優日の傍に居てくれました。僕がしなかったことをしてくれたんです」
「……」
「優日にとってそれがどれだけの救いになったか想像も出来ないくらいです。だって、独りではなかったのですから」
優日にとって、もっとも怖いのは孤独。
彼女は全てを失い、全てを諦めて、何も見ようとせず、一人きりで暗闇の中をさ迷っていた。
そんな時にここに来た。
それでも、光を見つけることが出来た。
僕の力だけじゃなく、紗衣香ちゃんや浩司、柚華さんのおかげで。
だから独りを嫌がった、暗闇を……一人きりの怖さを知っているから。
「だから、受け取ってください。僕には何もすることが出来なかった」
「しかし……」
「お願いします。それが僕の……優日の恋人としての責任だって思うんです」
「……わかった」
観念したという感じで、浩介さんは僕を見つめる。
話を聞こう、ということらしい。
もう一度、頭を下げる。
深く、深く。
「今までご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした! そして、最期まで優日の側に居てくれて、ありがとうございます。もう大丈夫です。穂波診療所の看板を背負う覚悟は出来ました」
「……うん」
これで前に進める。
一番お世話になった人だから、伝えたかった。そして、受け入れて欲しかった。
これは僕のわがままでしかないけれど。
そうしなければ、いつまでもこの人に甘えてしまいそうで。
優しい人だから……どこまでも。
「……一つだけ聞いてもいいかい?」
「はい」
「君は今も、自分を責めているのか?」
優日は僕に責めるなと言った。
それは彼女の最後の願いだし、叶えてあげたいとは思う。
だけど、無理なんだ。
僕はずっとずっと、自分を責め続けるだろう。
それは僕が僕を許してもいいって思うまで、永久に続く宿業。
「責めています」
「けど、それは優日くんの願いでは」
「ないです。けど、こればっかりはどうしようもないです」
僕の答えを聞き、浩介さんは諦めるかのようにため息をついた。
「気負いしすぎないようにするんだぞ。君はどうも自分一人で背負い込もうとする。優日さんと同じくね」
「ははは。分かってはいるんですけど、難しいです」
性分なのだろう僕の。
――コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
それと同時にドアが開き、柚華さんが入ってきた。
「ごめんなさいね。少し手間取ってしまって」
そう言って、おぼんの上にのっていた紅茶とケーキをテーブルの上に置いた。
「あ、すみません。そんなに長居はできないんです」
「ん? 何かこれから用事があるのかい?」
「ええ。学校の方に行って健康診断しなくちゃいけないんですよ」
「そうなの……でも少しくらいは時間あるでしょ?」
残念そうに僕の顔を覗き込む柚華さん。
「そうですね。お茶を頂く時間ぐらいなら」
「良かった。それじゃ冷めないうちに頂いてくださいな」
差し出された紅茶をすする。
少しの苦味と甘さが口に広がった。
「それじゃ、私からも一言」
突然、浩介さんは立ち上がった。
「穂波診療所は、私が大切な人を失い、行き着いた答えだ。そして、今まで訪れてきた、たくさんの患者たちの想いが詰まっている場所だ。生半可な気持ちでは守れないものだと思う」
そうだろう。
今度は全ての責任を僕が背負う事になる。
「私は、君で良かったのだと思う。君も大切な人を失って、どうしようも無いほどの絶望を味わい、この世界で生きていく事さえ諦めてしまった事もあるだろう」
浩介さんは僕の手首を見て、痛々しそうに呟いた。
僕が僕自身を見失っていた時につけた傷跡。
一生残り続ける、罪の証。
「だからこそ、命の大切さを知っている君なら、あの場所を守れると思う」
間違って、逃げ続けて、そして今もまだ探し続けている。答えを。
見つけられるだろうか。
診療所を守り続けていれば、探し出せるのだろうか。
「上月 俊也君。君に穂波診療所を任せる。どうか私の答えを、患者たちの想いを、守り続けて欲しい」
そう言って、僕と同じように、深く頭を下げた。
いけない。
浩介さんにこんなことをさしては。
跳ね上がるように立ち上がり、深く、浩介さんより深く、頭を下げる。
「僕は穂波診療所に、とても大切なものを教えてもらいました」
たくさんの死を見てきた。
たくさんの生を見てきた。
たくさんの命を見てきた。
たくさんの絆を見てきた。
数え切れないほどの物語を、あの場所で見てきた。
それはどれも辛いもので、悲しいもので、嬉しいもので、温かなもので……とても大切なもの。
「だから、守ります。守り通します。何に代えても。僕たちの答えを守ります」
"命"とはなんなのか。
"生"とはなんなのか。
"絆"とはなんなのか。
そして、"死"とはなんなのか。
辿り着いた、一つの答え。
それが、穂波診療所なんだ。
「良かったわね。浩介さん。譲ることが出来る人が現れて」
じっと静観していた柚華さんが、穏やかな表情で浩介さんに語りかける。
「ああ。本当に良かった」
浩介さんが今まで歩んできた道。
決して平坦ではなかっただろう道。
大切な人を失い、他人の大切な人の笑顔を守ろうと、自ら辛い人生を選んできた道。
そして行き着いた答えの中で、僕は優日と出会い、恋をした。
きっと、すべては繋がっているんだろう。
僕の道も、僕ではない誰かの道に。
その誰かの道も、また他の誰かの道に。
だからこそ、僕は道を閉ざすわけにはいかない。
僕の答えはまだ見つからないけれど、他の誰かの答えの為に、あの場所を守り続ける。
そう、心に誓った。
「ふぅ…」
健康診断は次で最後の生徒になった。
人数自体が全校30人と少ないのでそんなに疲れはしないけど、けっこう気を使う。
高学年ともなると体を見られるの嫌な子が多いから……。
「さて……これで最後か」
ドアが開く音がした。
最後の子が入ってきたみたいだ。
後ろを向いて、この前の健康診断の結果が書いてある紙を取る。
椅子に座る音がしたので、とりあえず前を向きながら聞いた。
「それじゃ、上着を脱いで」
「えぇ〜、先生エッチですぅ〜。そんなに私の裸が見たいんですかぁ〜?」
目の前には体をくねくねさせて、恥ずかしがってる浩司が……。
「でもでぇも〜先生になら見せちゃってもいいかも…なんて、きゃっ、恥ずかしいぃ〜」
「……」
「いや、そんなマジで引かなくても…」
「……」
「いや、ひさびさにお前の突っ込みが聞きたくてさ……」
「……」
「いや、その無言が果てしなく恐ろしいのだけど……」
「……」
「……すみませんでした」
軽く殺意を覚えました。
「で? 最後の子はどうしたの?」
「風邪で休んでな。それを伝えようと思って来たんだ」
普通に伝えてください。
「じゃあ、今日はもう終わりなんだ」
「俺はまだ授業がある。次は国語だな」
浩司はこの学校で体育の教師をしている。
子供達が少数人数なだけ教師も少数な訳で、他にも色々な教科を教えているらしい。
まともな授業が出来ているのだろうか?
「へぇ。国語なんか教えれるんだ?」
「ああ。今日は漢字テストあるからな。今頃焦って勉強してんじゃねぇか?」
皮肉をスルーされる。
「そんなに難しいの出したの?」
「ん? えーっと……穿鑿、贓物、鮟鱇、饂飩、瓦斯、辣腕、田圃、祝詞、睦言、宥恕だっけか」
近くに置いてあった紙にすらすらと書いていく。
よ、読めない。
「絶対、小学校で習う漢字じゃないよね?」
というか、大学でも習わないだろう。
しかも、読みじゃなくて、書きで出してるし。
「そうだろ、そうだろ。これを見たときのあいつらの顔ときたら……くっくっくっくっ」
「それで、なんて読むの?」
「せんさく、ぞうぶつ、あんこう、うどん、がす、らつわん、たんぼ、のりと、むつごと、ゆうじょ」
うわぁ。絶対無理。
読みの方が難しい。
「ただのいじめに見えるのは気のせい?」
「将来役に立つって」
絶対立たないと思う。
「そんじゃ、あいつらの嘆く顔を見るとするか……」
「それじゃ、僕は帰るかな」
「あ、俊也。聞きたいことがあった」
いきなり真剣な顔つきになって、浩司が僕を呼び止める。
「紗衣香ちゃんに、なにかあったのか?」
なにか?
随分と要領を得ない質問だ。
「何もなかったと思うけど。紗衣香ちゃんがどうかしたの?」
「いや、午前中にこっちに来たんだ。そん時に少し話したんだけど、いつもと雰囲気が違った感じがしてな」
浩司が言うからには、本当のことだろう。
憶測でものを言ったりしないし、第一、紗衣香ちゃんのことに関しては、浩司の方が僕なんかより早く気付く。
それだけ、見続けてるってことなんだろうけど。
「そっか。僕には分からないかな。帰ったら聞いてみるよ」
紗衣香ちゃんならはぐらかすだろうけど。
「まぁ、期待しないで待ってる。もしなにか分かったら教えてくれ。」
手を上げて、ドアを開けて出ていく。
玄関に向けて続く、長い廊下が目の前に広がる。
その中を静かに歩いていく。
「……昨日、もしかして、何かあったんだろうか」
秋亜ちゃんの様子もおかしい。
どうして、それで雰囲気がおかしくなるのかは分からないけど、二人の間にきっと何かあったのだろう。
教えてくれるかは分からないけれど、聞いてみないと。
なんとなく、一つの教室が目にとまった。
何かのプリントを頭を抱えながら書いている生徒の姿があった。
「そういえば……専門はたしか国語だったっけ……」
ふと、思い出す。
懐かしい記憶。
まだ、なにも知らなかった。
それがどんな気持ちで、どうしたいのか、まだ形にはなっていなかった。
なにも知らなかったからこそ、幸せだった日々。
そういう穏やかな時間もあったんだ。
真っ白な気持ちで相手を追っていた時が。
時刻は三時。
診療所に着いた時はもうそんな時間になっていた。
少しお腹が減り、なにか食べようと台所に向かう。
ドアを開けると、そこには秋亜ちゃんが居た。
手にはお茶を持って、じっとそれを見ていた。
湯気の立っていないお茶を。
「ただいま」
僕が入ってきた事に気付いていなかったのか、少し驚いてこっちを見る。
「……お帰り」
「お茶入れ替えてあげようか?」
「ああ。悪い」
受け取った湯飲みは、もう熱さがなく、熱くも冷たくもなく、ぬるい状態になっていた。
淹れてからどれだけ時間が経っていたのだろう。
「そういえば、昨日紗衣香ちゃんとなにかあった?」
それとなく聞いてみる。
「何かってなんだよ。別に何もなかったさ」
「なんでもいいんだ。紗衣香ちゃんと話したときに、彼女が驚いたとかそういうのなかった?」
訝しげに僕を見た後、秋亜ちゃんは考え込んだ。
「……そういや、あたしが優日さんについて聞いた時は驚いてた気がする」
「どんなこと?」
「ただ、『優日さんってどんな人だった?』って聞いただけだよ」
それで、驚いていた?
まだ掴めない。
いったい、紗衣香ちゃんは何に驚いていたっていうんだろうか。
「……あたしも、アンタに聞きたいことがある」
秋亜ちゃんは真剣な眼差しで僕を見つめる。
その瞳はただただ暗かった。
光はまったくなく、深い闇が瞳を占めていた。
「優日さんについて聞いた時、紗衣香さんは大切な人だって言っていた。紗衣香さんにとっても、そして……アンタにとっても」
紗衣香ちゃんはそんなこと言ったのか。
確かに大切な人だ。大切過ぎて、おかしくなってしまったほどに。
「なぁ、優日さんってどんな人だった?」
「……僕にとって優日は生きる理由だった」
「生きる理由?」
この世界で生きていく為の、理由。
彼女がいなければ、僕はずっと、立ち直れなかったのだと思う。
いつの間にか惹かれていて、どんどんどんどん好きになっていって。
想いが抑え切れなくて、そして、想いが叶った日は、どうしようもないほどに嬉しかった。
そして、彼女に辛いことがあった日は……。
「彼女を守ろう、支えよう、助けようってね。そうやって生きてきた」
「……随分弱い人なんだな」
「いや、彼女は強かったよ。誰よりも」
そう。誰よりも強く闘っていた…自分の運命と。
そして同時に脆かったんだ。誰よりも。
「僕は彼女の優しさや強さに何度も支えられたし、僕も彼女をずっと支えてきた」
「ふーん…つまりはラブラブだったって言いたいわけだ」
「ははは、まあ、そうかな」
秋亜ちゃんは、やっぱり優日の事を知っている。
それは間違いないだろう。
でも、繋がりが分からなかった。
「なあ……アンタは生きる理由を失って、どうして生きていられるんだ?」
どうして……か。
それは、僕が後を追うように死んだって、誰も幸せにならないからだ。
自分で自分を殺したってなんも償いにはならないからだ。
「そんなに大切だった人をアンタは失ってるんだろう? あの人以外に見つけたのか? 生きる理由を」
見つかっていない。そんなの見つかるわけない。
僕にとって優日は……それだけ大きい存在だったから。
「生きる理由なんて……簡単には見つからないさ。だから僕は」
「だから探してるの? 優日さんの"代わり"を」
「"代わり"なんて居るはずがない」
「じゃあ……どうして?」
僕の答えに何かを求めている。
秋亜ちゃんにとって大切な何かを。
「僕は……僕は今、自分の責任を果たすため生きている」
「責任?」
「そう。僕は医者として…そして、優日の愛した人としての責任がある」
秋亜ちゃんが僕にずっと向けている眼差し。
その瞳に希望は……きっと映っていない。
僕は彼女を救いたい。それが僕のわがままだろうと。
だから、僕は話せばいい。
優日との思い出を。
秋亜ちゃんはきっと、それを望んでいるだろうから。
それが答えに……希望になるかは分からないけれど。
優日はどんな人だった、という問いに、答えてあげれると思う。
だから、話そう。
「少し昔の話をしようか」
僕と優日の、辛くて悲しくて、優しかった日々を。
僕と優日の、初めての出会いと、最後の別れを。
こうして、繋がっていくのだろう。
僕の道が、彼女の道へと。
繋がっていくのだろう。
それが、彼女にとっての希望となるように。
そう願って、語りだす。
少しだけ、ほんの少しだけ、昔の話を。