私がとても小さかった頃。
 お母さんのネックレスについて不思議に思っていた。
 そのネックレスの先にはピンク色のハートのオブジェが付いている。
 だけど、それは片方だけ。
 ちょうど半分でハートがギザギザに分かれている。
 そして、もう片方のハートをお父さんが持っていた。

 どうして、お父さんもお母さんも同じ物を付けているの?

 と、お母さんにそう聞いた。
 すると、これはお父さんとお母さんが恋人になった日に、お母さんからプレゼントしたもので、自分達は恋人同士なんだっていう印が欲しくて渡したんだよ、と答えてくれた。
 だから、お父さんとのペアルック。

 私は、それが羨ましいと感じたんだ。





『TONARI』






「まことくん! いる?」

 日曜。自室。
 日が落ち始めて、夕日が窓辺から差し込んでいた時のこと。
 突然ドアが開き、女の子の声が響いた。
 聞き慣れた声。
 声の主は俺が知りすぎているほど知っている人物。
 俺の幼馴染。さやか。

「まったく……いつも言ってるだろ。一応ノックをしろって」

 普通は逆だと思うんだが……。
 無駄だと思いつつも、注意しながら振り返える。
 そこにはやはり見慣れた少女が、腰辺りまで伸びた長い髪を揺らして立っていた。
 急いできたのだろうか、少し息をきらしている。

「しょうがないよ。だって早く渡したかったんだもん」

 と、さやかは手に提げていたバックから、ビンク色の袋を取り出した。
 なんだ?

「はい。お誕生日おめでとう」

 そう言って、手渡してきた。
 ……あぁ。今日はそんな日だったっけ。
 まったくもって、忘れていた。

「……まことくんって、相変わらず自分の事には無頓着だよね」

 さやかは俺の表情から読み取ったのか、少し顔をしかめた。
 仕方がないだろう。
 小さい頃、母さんが家を出てって、それから親父と俺の二人だけで暮らしてきたんだ。
 自分の誕生日なんかに構っている暇なんてなかった。

「そんなことはどうでもいい。それよりこれは何だよ?」

 ピンクの袋から出てきたのは、中に入っていてもまったくもって不思議ではない可愛らしいぬいぐるみだった。

「くまさん。男の子だよ」

 茶色のふわふわした毛をして、丸っこい黒い目をしている。世に言うテディーベアとか言うものだろうか。
 そして、確かにそれは、男の子が着るような服を着ていた。
 ……プレゼントをくれるって言うんだから、嬉しいには嬉しいだけど、なんでまたこういう物なんだろうか。
 こんなのが男の部屋にあったら、気味悪がられるか、からかわれるだけだ。

「あの……もしかして気に食わなかった?」

 また、俺の表情から読み取ったらしい。
 そんなに顔に出ているだろうか。

「なぁ、まさかとは思うけど、お前も同じものを持っていたりしないだろうな?」

 一番危惧している事を尋ねた。
 さやかはよく、俺と一緒になりたがる。
 例えば、俺の持っているものを後でさやかが買ってきたり。
 さやかが持っているものと同じものを俺にくれたりする。
 結果、そういうのはペアルックだと周囲は認知するわけで。
 やっぱり学校で冷やかされたりする。

「あの……嫌なのかな? 私と一緒って」
「嫌だって。なんでこの年になってまで、お前とペアルックなんてしなくちゃいけないんだよ」

 というか、恥ずかしいというのが本音だった。
 プレゼントを貰えるというのは嬉しいし、素直にありがとうとは言いたいけど、俺たちはそういうのを卒業しなくちゃいけない気がする。
 俺たちはもう中学生になった。
 別に付き合っているというワケじゃないのだから、そういうのをしている方がおかしい。

「そ……そっか。あははは……そうだよね」
「……さやか?」

 様子がおかしい。
 今までずっと笑顔だったのに。

「おい? どうした?」

 つーっと、一直線に、涙が……こぼれた。

「え? あれ? どうして……」

 さやかが俺を避けるように、後ろを向いた。
 泣いていた。明らかに泣いていた。

「どうしてだよ。嫌なんていつも言ってるじゃないか。なんで泣いてるんだよ」
「泣いて……なんかいないよ」

 どうしてそんな嘘を言うんだ。
 どうして隠すんだ。

「じゃあ、もう帰るね」
「おい!!」

 引き止める間なんてなく、さやかは部屋を出て行った。

「……なんで……どうして」

 ワケが分からなかった。
 どうしてさやかは泣いていた?
 どうしてそれを隠そうとした?
 俺は何か傷つくような事を言ったのだろうか?
 俺は……何がいけなかったんだろう。

「あれは……」

 ドアのすぐ下に、ぬいぐるみが落ちていた。
 さやかが俺にくれた、男の子の服を着たくまのぬいぐるみ。
 これが、そんなに大切なものなのだろうか。
 これが、一緒じゃないとダメな理由があるんだろうか。
 何も分からない。
 俺はただ呆然と、さやかが置いていったプレゼントを見続けていた。


                ◇◇◇


 部屋をノックする音が聞こえた。
 次にお母さんの声。
 ……もう、朝なんだ。
 私、いつのまに寝ちゃってたんだろう。
 あの後、すぐに家に戻って、部屋に入り、ずっと泣き続けていた。
 お母さん、心配しているんだろうな。
 だけど私、……今日は学校に行きたくない。
 学校というより、まことくんに会いたくない。
 どうして私、泣いちゃったんだろう?
 まことくんは、ただ私とペアルックが嫌だって言っただけなのに、何を勘違いしたんだろう。
 だけど知らないうちに涙が出てきて……それを隠すのに、必死だった。

 ……でもやっぱり、まことくんは私と一緒は嫌なんだろうか。
 どうして嫌だなんて言ったんだろうか。
 分かってる。まことくんは恥ずかしがっているだけ。いつもそうだった。

(だけど、本当にそうだった?)
(あれは、本当に嫌そうな声じゃなかっただろうか?)

 違う。まことくんはそんな人じゃない。
 私が好きになった人は、そんな人じゃない。
 私だってずっと気持ちを伝えてきたつもりだ。
 まことくんだって、私の気持ちを分かっているはずだ。

(なら、どうしてまことくんは、その気持ちに答えてくれないんだろう?)

 それは……それは……どうしてだろう。
 分からない。分からないよ。
 本当は私に嫌気がさしていたんじゃないだろうか。
 私の勘違いじゃなく、そういう意味で嫌だって言ったんじゃないだろうか。
 分からない。
 私は……まことくんに……嫌われているんじゃないだろうか?


                ◇◇◇


(寂しい)

 暗い暗い空間の中に、声が響いた。
 か細い、今にも消えてしまいそうな……だけれど、意思だけははっきりと伝わってくる声が。

(寂しいよ)

 なにが寂しいというんだろう。
 どうして寂しいんだろう。

(一人は寂しい)

 どうして一人なのだろうか。
 誰が一人なのだろうか。
 誰にだって、一緒にいてくれる人は居るはずなのに。

(会いたい。会いたいよ)

 誰に?
 どうして会えないんだろう?
 誰でもいい。
 誰でもいいから、この声の主に誰かを会わせてやってくれ。
 一人は寂しい。そんなの誰だってそうだろ?
 こいつは、こんなにも声を震わせて、今にも消えてしまいそうな声で願っているんだ。
 叶えてあげたって、いいだろ?







「……ん」

 眩しい。
 今まで見ていた空間とは変わって、今度は光に満ち溢れていた。
 ベットから起き上がる。
 頭はまだぼーっとしていて、未だ夢の中にいる感覚だった。
 だけど、声は聞こえない。
 あの、胸に響くような、悲しい声。
 やけにリアルで、今も胸の中に、その感情が残っている。

「なんだ?」

 あれは、誰の気持ちだったのだろう。
 少なくとも俺のものじゃない。
 別に一人なんかじゃないし、誰かに会いたいっていうこともない。
 じゃあ、いったい誰の気持ちなのだろう。

「……」

 よく分からない。
 ふと、本棚の上に置いてある物体を見上げる。
 昨日、さやかが置いていったくまのぬいぐるみ。

「さやか……」

 昨日の泣き顔が、どうしても頭を離れなかった。
 とりあえず、さやかに謝やまらないといけない。
 理由はよく分からないけれど、さやかを傷つけてしまったことだけは確かなんだから。

「もしかしたら……あれは」

 さやかの声だったのかもしれない。

「なんて、あるわけないか」

 馬鹿な考えを振り切る。
 そろそろ、あいつが来る時間だ。
 そう思い、急いで部屋を出た。







「なぁ、まこと。さやかちゃんどうかしたのか?」

 学校に着いて、開口一番に聞いたのがそれだった。
 会うやつ会うやつが聞いてくる。
 いつも隣にいるからだろうか。
 気になるやつは居るんだろうけど、今はそれがうざったかった。

「どうでもいいだろ」

 俺の家にさやかの母親から電話があった。
 今日は休むって。
 理由は"俺に会いたくない"から。
 今でも信じられないくらいだ。
 今までになかっただけに、結構、精神的にきた。

「……はぁ」

 完璧に嫌われた。
 しかもすごく怒っているらしい。
 何も考えたくなかった。
 机の上に突っ伏す。

「まことくん、一人? さやかは?」

 また一人、うざったい質問が聞こえた。
 顔を上げ、姿を確認する。

「尾上か……なんだよ」

 尾上 小枝(おのうえ さえ)
 さやかとよく話しているヤツだ。
 というより俺以外で、さやかと一番仲の良いヤツだろう。
 よく買い物とか一緒に行っていると聞いたことがある。

「なんだよ、じゃなくって。さやかは? 来る気配もないし。今日休み?」
「……まぁな」
「へぇ、おかしいな。昨日は元気だったのに。風邪でも引いたの?」
「……さぁな」

 適当に受け答えする。
 もう、さやかの事を聞かれるのはうんざりだ。

「……ケンカでもしたの?」
「うるせぇよ。お前には関係ないだろうが」

 そう言って、席を立つ。
 もう教室に居るのが、嫌だった。

「あ。ちょっと。関係ないってどういうことよ!」
「悪いけど、一人にしてくれ」

 そう言って、教室を出て行く。
 授業がもう始まるよとか聞こえたけど、どうでも良かった。
 静かで、一人になれる場所が、どうしても欲しかった。


                ◇◇◇


 また部屋をノックする音が聞こえた。
 座っていた椅子を揺らす。

「お母さん?」
「……いや、私。小枝」

 え?
 どうして小枝ちゃんが私の家に来ているんだろう。
 時計を見てみる。
 まだ、お昼を回ったぐらいの時間だ。
 まだ、学校は終わっていないと言うのに。

「えーっと、入って……いいのかな?」
「あ、ごめん。いいよ」

 そう答えると、きいっと静かに音を立てて、小枝ちゃんが入ってきた。
 服は制服を着ている。
 いつものように、髪を後ろで結わえて、元気そうに、その髪が揺れている。
 小枝ちゃんは、少しきつく感じるようなつり目で、私を心配そうに見つめてきた。

「……目真っ赤。大丈夫?」
「ああ……うん。大丈夫。それより学校は?」
「……あんたが言うこと? それ」

 ……つまりは、サボったんだ。

「あんたの相方だって同じ。というか、学校来てから直に居なくなった」

 まことくん、今日は一人で行ったんだ。
 って当り前だよね。私はズルして休んだんだから。

「……なんかあったんでしょ? さやかとまことくん」
「……別に何もないよ」

 別にケンカとかしたワケじゃないのだから。
 たぶん、私が一方的に避けているだけ。

「……そ。ならいいんだけど。あたしは様子を見に来ただけだし」

 小枝ちゃんはそれ以上、聞いてこようとしなかった。
 ホッとする。
 私自身。分からなくなってしまったから。
 私はまことくんが好きだ。それは変わらない。変わるわけない。
 だけど、もし、まことくんが、私を嫌いになっているんだとしたら……私は生きていけない。
 大げさかもしれないけど、それくらい、私の中のまことくんの存在が大きいのだ。

「さやか。明日は来るんだよね?」

 小枝ちゃんは、また心配そうな顔で、私を覗き込んでいた。
 いけない。また考え込んでしまった。
 頭の中はまことくんのことばっかり。
 たとえ、嫌われていたとしても、ずっとまことくんの事を考え込んでしまうのだろうか。
 そうしたら私は、今のようにずっと閉じこもってしまうのだろうか。
 確認するのがもの凄く怖い。

「……さやか?」
「分からない。怖い。まことくんに会うのが……とても」

 こんなこと紗枝ちゃんに言ったって迷惑なのに。
 怖くて、怖くて、どうしようもなくなっていた。
 弱い。
 私はまことくんがいないと、こんなにも弱くなってしまうんだ。

「ねぇ、さやか。あのくまのぬいぐるみ。まことくんにあげたんだよね?」

 小枝ちゃんは私を諭すように、優しい声で聞いてきた。
 あげた、と言うより置いてきたのだろう。
 気付いたら、私は持っていなかった。

「……たぶん、まことくんの部屋にあると思う」
「なら、大丈夫。想いは、まだ繋がる」
「え?」
「私に任せて。あの無頓着にちょっと思い知らせてあげるから」

 小枝ちゃんは私にウィンクを一つして、立ち上がった。
 そして、笑いかける。
 心配ないよ、と私の不安を消し去るように。

「あ、あの……小枝ちゃん?」
「明日はさやかの誕生日。きっと、良い日になる」

 小枝ちゃんが何をしようとしているのか、分からない。
 だけど、まことくんに何かをしようとしているのだけは分かった。

「まこと……くん」

 まことくんは今、どうしているだろうか。
 私のことを考えてくれているのだろうか。
 だとしたら、嬉しい。
 そうじゃないとしたら……考えるのも怖かった。
 会いたい……会いたいよ。
 だけど、怖い。とても、怖い。


                ◇◇◇


(寂しい)

 闇の中に、また声が響いた。
 あの胸を突くような声が。
 正体が知りたい。この声の正体が。

(僕と彼女はいつも一緒だった)

 ……え?

(どうして離れてしまったんだろう)

 一瞬、さやかの泣き顔が頭をよぎった。
 どうして……か。
 どうして、なんだろう。

(会いたい。会いたいよ)

 俺だって会いたい。
 会ってちゃんと謝りたい。
 だけど、あいつは会ってくれるだろうか。







 眩しい光が、暗闇を照らした。
 ……朝、だ。

「また、あの夢か」

 昨日も見た夢。
 誰かに会いたいと、切に願っている声。
 まだ、誰の声なのかはまったく分からないけれど、一つだけ確かな事がある。
 それは、この声の主は俺とさやかに似た状況にある、ということ。

「……どうして、か」

 夢の中で問い掛けられた言葉。
 そんなの、俺だって分からない。
 自分の事だって分かっていないのに、正体不明のヤツの事なんて分かるわけがない。
 俺が聞きたいくらいなんだ。
 どうしてこんなことになったのか。
 何が間違ってしまったのか。

「さやか……今日は来るだろうか」

 来て欲しい。
 避けられたっていい。
 一目でも会いたかった。

「……って、これじゃ、あの夢の声と同じだよな」

 ずっと一緒に居た相手。
 どうして離れてしまったのか分からない。
 寂しいと訴えている。
 会いたいと願っている。
 まるで、俺の心の中みたいだ。

「……学校に行かないと」

 正直、行く気なんて殆どない。
 だけど、少しでも可能性があるのなら、それに賭けてみたいと思う。
 さやかは俺を避けているから、学校に行くとしても俺と一緒に行くなんてことは絶対無い。
 だから、今日も一人で行こう。
 学校で、今一番会いたい人に会える事を願って。







「君、ここに居たんだ」

 不意に声が聞こえた。目を開ける。
 ぼやけた視線の先には、女の子が立っていた。
 呆れたような表情をして、俺を見下ろしている。

「また、お前か」

 尾上だった。
 性懲りもなく、またさやかのことを聞きに来たのだろうか。

「なにしに来た?」
「……なにしに来たって言うのはないんじゃない? 昨日も今日も授業サボっておいて」

 俺は今、屋上に居た。
 学校に来ても、さやかがいないんじゃ意味がないからだ。
 結局、今日も来なかった。
 俺は、どうしたらいいんだろうか。
 会いに行きたい。
 だけど、会ってくれるのだろうか。

「授業なんて受ける気分じゃないんでね」

 だからさっさと消えて欲しい。
 そう言外に雰囲気を漂わせて言った。

「ねぇ、まことくん。どうして誕生日プレゼント、受け取らなかったの?」

 だけど尾上は、たいして気にした感じもなかった。
 それより、どうしてこいつは俺とさやか以外知るはずのないこと知ってるんだ?

「なんでお前が知ってるんだよ」
「そんなことどうでもいいじゃない。それより、どうして?」
「お前には関係ないだろうが」
「私はさやかの友達。ほら、関係あるじゃない」

 あぁ、うるさい。
 こいつはいったい何しに来たっていうんだ。
 授業はもう始まってるはずだぞ。

「君さ。さやかがどんな想いで、あのぬいぐるみ買ったか知ってる?」
「どんな……想いで?」

 そんなの知らない。
 あいつはそんなこと一言も言っていなかった。

「君が貰ったの、男の子の服着てなかった? 本当はあれ、ペアの女の子が居るんだよ」
「……え」

 思い出す。
 暗闇の中の声を。
 とてもとても悲しい声を。

「あのぬいぐるみ、二つで一つなんだよ。だけど、さやか一つ分のお金しか無かったから、どうしても片方だけでも売って欲しいって頼んだんだよ」

 寂しい、と。
 会いたい、と。
 そう、切に願っていた。あの声を。

「かならず後でもう片方を買いに来るって、さやかは必死に訴えた。そしたらお店の人も納得してくれた」

 それは、いつも一緒にいたモノと引き離されてしまったモノの嘆き。叫び。懇願。
 そうだ。そうだったんだ。
 どうしてかなんて分からない。
 気のせいだと言われても、しょうがないこと。
 だけど、あれは間違いなく……あのぬいぐるみのものだった。
 なぜ、あいつはそこまでして、あのぬいぐるみを……。

「たくさんあるぬいぐるみの中で、どうしてそれじゃなかったらダメか、君に分かる?」

 分からなかった。
 そもそも、分かっていたら、きっとこんなことにならなかった。

「ずっと一緒がいいんだってさ。あのぬいぐるみのように、ずっと一緒に居たいんだって」
「……あ」

 俺は知っていた。
 いつもあいつは言っていたじゃないか。
 一緒だって。ずっと一緒がいいって。
 だけど今、あいつは俺の隣に居ない。

「だから、男の子の方を君に、女の子の方を自分に。そうやって、いつか……ってここまで言うのは野暮か。分かった?」

 これじゃ、あのぬいぐるみと同じじゃないか。
 男の子と、女の子は、ずっと離れたまま。

「俺は……バカだ」
「ふぅ。やっと気付いたみたいね」

 あいつは今、どんな気持ちで家に居るんだろうか。
 さやかは一緒に居たいと願った。
 そういう意味で、あのプレゼントを俺に渡した。
 だけど俺は、その願いを拒否した。

「おい。買った場所って何処だ? 教えろ」

 俺は何をやっていたんだろう。
 本当はもっと早く気付けたはずだろ?
 いつも一緒に居たんだから、あいつの事はなんだって分かっているはずだろ?
 どうして、こんな重要なことに気付けなかったのだろう。
 一緒に居たい。
 そんなの俺だって同じだ!

「そ。それが一番ね。場所は今描いてあげる」

 そう言って、小枝は俺の手に地図を描いていく。
 早く、今にも駆け出したかった。
 謝る。
 今度は絶対に、精一杯謝る。
 俺は酷い事をした。今なら全部分かるから。
 間違ってしまったけど、今なら素直に言えるから。
 お前と一緒に居たいんだって。


                ◇◇◇


 起きた時は、昼を過ぎていたと思う。
 昨日もやっぱり、眠れなかった。
 頭でぐるぐると、まことくんの事が浮かんできて。
 どうしたらいいのか分からなくって。
 気付いたら、いつの間にか眠っていた。

 どんなに考えても答えは一つだった。
 まことくんに会いたい。
 会って謝りたい。
 泣いてしまった事を、誤解なんだってことを分かってもらいたい。

 だから私は今、玄関に居る。
 学校に行くために、制服に着替えて、カバンを持って、靴を履いて、外に出ようとしている。
 だけどどうして、この足は震えているんだろうか。
 やっぱり、怖いものは怖い。
 まことくんの本当の気持ちを聞いて、拒絶されるのが怖い。
 だけど、こういう時にこそ、勇気は必要なんだ。
 だけど私は。

「どうして、こういう時に勇気が出ないんだろう」

 会いたいのに。
 声が聞きたいのに。
 どうして、踏み出せないんだろう。
 まことくんに会いたくて仕方ないのに、会うのを怖がっている私。
 いったい、私はどうしたいんだろう。

「一目でもいい。私は気付かれなくてもいい。お願いだから、動いて!」

 小枝ちゃんは、まだ想いは繋がっているって言ってくれた。
 だったら、自分を信じてみよう。
 私たちの日々を信じてみよう。
 私とまことくんが築いてきた時間。
 それは、かけがえないもので、疑いようのないものなのだから。
 信じてみよう。

 ドアノブに手を賭け、扉を開く。
 広がったのは見慣れた景色……なんかじゃなく。
 いつも私の側に居てくれた、私の大好きな……まことくんだった。


                ◇◇◇


 さやかの家の前で立ち止まる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 思うように息が吸えない。
 走り過ぎて、かなり息が上がっていた。
 手には女の子の服を着た、くまのぬいぐるみ。
 これが、俺の家にあるものと、ずっと一緒だったぬいぐるみ。

「悪かったな。引き離して。もう離れることはないから。絶対に」

 ぬいぐるみに語りかける。
 引き離してしまったのは俺たち。
 そして、このぬいぐるみたちもそうなったように、俺たちも離れてしまった。
 なら、また一緒になればいい。
 もともと離れる気なんて、無かったのだから。

 ドアの前に一歩踏み出す。
 会ってくれるか分からない。
 だけど、精一杯俺の気持ちを伝えよう。
 俺にできる事は、謝って、気持ちを伝える。それだけ。

「よし。行くか」

 覚悟を決め、チャイムを押そうとした。
 だけど、音を鳴らす前に。
 まるで俺が居る事が最初から分かっていたかのように。
 カチャっと小さな音を立てて、ドアが開いた。

「さやか」
「……まこと……くん?」

 さやかは驚いていた。
 こっちだってビックリしている。
 なんだろう。たった一日会わなかっただけなのに、なぜか懐かしさがこみ上げてきた。
 さやかもさやかで、今にも泣きそうな顔で、俺の事を見ている。

「……何しに来たの?」

 急に顔を伏せて、か細い声で、そう聞いてきた。

「何しにって、お前の誕生日を祝いに来たんだよ。ほら」

 そう言って、手に持っていたものを、さやかの目の前に出す。
 女の子の服を着た、ふわふわした茶色の毛と丸い黒の瞳をした、くまのぬいぐるみを。

「……え? こ、これ……どうして?」
「ごめん!」
「え? え?」

 さやかが事態を飲み込めていないのは分かっていた。
 だけど、先にさやかに謝られるのは、ダメだ。
 それだけは絶対に。

「俺はおまえに酷い事を言った。おまえを拒絶する言葉を言ってしまった。ごめん」

 さやかの肩は震えていた。
 今にも泣き出しそうに、だけど、それを必死に抑えているように見える。

「だから、これを渡したかった。俺だっておまえと離れる気なんてないんだか――わっ」

 トンっと、さやかが俺に飛びついてきた。
 慌てて受け止める。

「ごめんなさい。ごめんなさい。会いたかったよぉ。ごめんなさい」
「ばか。さやかは謝らなくたっていいんだ。俺が悪いんだよ。気付けなかった俺が」

 さやかは俺の胸の中で、首を横に振る。

「だって私、何も言わなかった。勝手に勘違いしただけなんだよ」

 それでも。
 やっぱり嫌だと言ってしまったことだけは、俺の間違いだった。
 いつもと同じだと決め付けて、それ以上を考えようとしなかった。
 さやかの願いを、気付けなかった。

「勝手に泣いて、勝手に怒って。勝手に会いたくないって突き放した。なのに……まことくんに会いたくて仕方なかった」

 さらに、きつく俺に抱きついてくる。
 まるで、俺の存在を確かめるかのように。きつく。

「だから。今だって、一目だけでも見に行こうとした。会うのは怖かったから。拒絶されるのが怖かったから」
「……俺が、おまえを嫌がるわけないだろ?」
「……うん。うんっ。 ありがとう。嬉しい。本当に嬉しいよ」

 俺の何気ない一言一言が、どれくらいこいつを傷つけてきたんだろうか。
 こうやって素直に、相手が好きなんだと伝えることが出来れば、さやかは傷つかなかったというのに。
 難しい事じゃない。むしろとても簡単な事。
 だけど、今日からはきっと素直に。もっと素直に。
 そして、恥ずかしいくらいに、さやかが好きなんだって事を伝えてやろう。
 そうすれば、きっとこいつは今までどおりに、俺の隣で笑ってくれるから。

「ほら。これ」

 さやかをそっと引き離し、ぬいぐるみを目の前に持ってくる。

「ありがとう。大事にするからね。絶対に」

 そうして、さやかにぬいぐるみを渡した。
 でも、片方だけじゃダメなんだ。
 俺たちも。そして、このくまたちも。

「ああ。だけど、さやか。こいつらペアだって知ってたか?」
「え? うん、もちろん。だから」
「いつか一緒になれたら、この子たちも一緒にしたいって思ったんだろ?」

 どうして知っているのというような目で、俺を見るさやか。

「俺は今まで、たくさんさやかを傷つけてきた。だから」

 そう言って、俺は鞄の中からくまのぬいぐるみを取り出す。
 さやかが俺の家に置いていった、あの男の子の服を着たぬいぐるみを。

「いつかじゃない。今一緒になってやるよ」
「え?」

 強引にさやかを抱き寄せ、唇を重ねる。
 さやかは突然の事で、よく分からないのか、なすがままになっていた。
 そっと離れる。
 俺の手にはくまの男の子。さやかの手にはくまの女の子。
 隣に居て当り前だったペアのぬいぐるみ。

「だから、これも預かってくれ」

 まだ、ぼーっとしているさやかに、俺の手に持っているものを差し出す。
 なんだろう。
 自分はさやかの事が好きなんだと認めてしまうと、どんなことでもできてしまう。
 端から見てたら、かなり恥ずかしい行為ばかりしているというのに、こっちとしてはまだ足りないくらいだった。

「どうして? どうして……キスしてくれたの?」

 指の先を唇に当てて、聞いてきた。

「示したかったら。どれだけさやかの事が好きか。望むなら何度だってしてやる」

 さやかは微笑むと、俺の手から、ぬいぐるみを受け取った。

「うん。何度だってして欲しい。だって、一緒なんだよね? ずっとずっと一緒なんだよね?」
「ああ。一緒だよ。ずっと一緒」

 俺たちはいつか一緒になる。
 そりゃ、今は無理だけど、そう遠くない未来に必ず。
 だから、このペアのぬいぐるみを一つにするんだ。
 それは約束。

 いつも隣に居た。
 だからこそ、隣に居ることを、特別なんだと感じなかった。
 それが当然だったから。
 でも違った。
 俺たちは物とは違う。
 すれ違いもあるし、ケンカもある。
 理解し合えないものもあるし、嫌なところだってある。
 ずっと、隣に居るっていうことは、とても難しい事だって分かってる。
 だけど、俺たちは今、ここに約束した。
 このくまのぬいぐるみ達のように、隣に居ることをずっと続けていこう、と。

 今度はさやかから、近づいてくる。
 そして、俺の前で顔を少し上げ、目を瞑った。
 俺は、その仕草を読み取り、顔を近づけ、唇を重ねる。
 二度目のキス。
 今度は二人とも、想いを確かめ合うためのキス。

 さぁ、ここから始めていこう。
 俺とさやかの物語を。
 これは、ほんの始まりでしかないのだから。






 
Novel あとがき